同じ「幻」と向き合うなら、光が強烈なほうを選べ。
よく、我々は、分かったような顔をして、「上には上がいる」「下には下がいる」などと言う。
世界で、一日1ドル以下の「絶対的貧困」の中で暮らす人達は12億人以上おり、66億人に達する世界の人口の、およそ2割を占めるという。
特にサハラ以南のアフリカ地域では、5割近い人が、一日1ドル以下の生活を強いられているそうだ。
以前、一日1ドルで、家族5人ぐらいで暮らす家庭を支える少女の海外ドキュメンタリーをテレビで見たが、実にひどい暮らしようだった。
基本的に、食事は市場から出てくる廃棄品の食糧を主食に、炎天下一日中歩き回ってもごくわずかしか稼げないような、日銭稼ぎに費やす。
帰ってくると、今度は疲れた体で、幼い弟や妹の食事のために、いつ止まるかもわからないガスを気にかけつつ、料理の準備をする。
週に一、二度、ほんの数時間だけ出席できて、友達とも会える学校の授業が、その少女の人生における唯一の楽しみ。
そんなような、内容だった。
1ドルというと、単純レートで110円くらいだ。
物価水準の違いはあるだろうが、おおざっぱな感覚でいうと、「一家五人、一日4、5百円で暮らせ」と、言われているようなものではないだろうか。
この日本でそのようなテレビ番組を見て、目をうるませながら「かわいそうな子供達」と言っていられる時点で、すでに自分がいかに恵まれ、ありがたい環境にいる存在かということが、わかる。
一日1ドル以下の生活をしている人たちは、人の生活をのぞき見る余裕もなく、自分の明日を生き抜くだけで、その全神経を使い果たしているはずだから。
むろん、世界には全く逆の立場の、いわゆる大富豪たちもたくさんいる。
経済的に、上は青天井、下は底抜けというやつで、我々も結局は、その間のどこかに所属していることになる。
たとえばリストラされて、失業したりすると、我々は今の自分を、不幸だと感じる。
その時の我々の目線は、遠いアフリカの貧困に苦しむ人達ではなく、我々のすぐ間近にいる、毎朝ネクタイを締めて会社に向かう人たちを見ているはずだ。
しかし、目線を世界に転じてみると、我々はしょせん、世界のGNPの8割を消費する超大金持ちの2割の人々と、明日一日を生きるのも困難なこれら最下層の経済状況の人々との間を、目に見えないくらいほんのわずかに上がったり下がったりしてながら、漂っているだけの存在にすぎない。
私やあなたが、今のおかれた状況を不幸だ、恵まれていない、と感じることはもちろんあるだろうし、幸福や不幸のモノサシも、人それぞれなのはわかる。
しかし私やあなたは、少なくとも昨日も今日食べるものがなくて、売れ残りの廃棄食品を求めて
近くのスーパーのゴミ箱をあさりにいくような毎日は、送っていないはずだ。
そのようなことをしなくて済んでいるだけで、やはりこの世界では十分に恵まれている存在なのだと、私はやはり思う。
身の回りの手近な人たちと比べて、喜んだりがっかりしたりしているのは、やはりまだ徹底的に
追い込まれていないからこそ、そのような気持ちの余裕があるということなのだ。
このような書き方は自分でもはっきりエゴだと思うし、説教くさいとも思うが、あえてそう書きたい。
今、この文章は、半分は自分自身に向けて書いているような気がするのだ。
我々は人生のつらい瞬間に、自分よりはるかに過酷な境遇にいる人がいることに思いをはせ、
自分がそれより恵まれた人生にあることを、感謝するべきだ。
深くそう思うことで、今の自分がとらわれている、幸福だの不幸だのといった概念が、なんのよりどころもない、他との比較でかろうじて成り立っている、幻(まぼろし)のようなものに過ぎない
ことがわかる。
身近な隣の住人と比べようと、アフリカの子供と比べようと、しょせんはどちらも「幻」と比べながら、喜んだり悲しんだりしているにすぎないのだ。
だから、「幻はしょせんは幻に過ぎない」と、自分の心の奥底でしっかりと冷めた気持ちで、自覚していることこそが、明日を生き抜くために大事なのではないかと思う。
仮に今、求職中のあなたが、面接をパスして、再就職できたとする。
あなたは、その瞬間は、嬉しいだろう。
しかし、それすら、ひとときの移ろう「幻」にすぎないのだ。
あなたが数十年前の若きある日に、「内定を出すよ、おめでとう」と、会社から言われた時のように。
逆に今、あなたが失業して、精神的な苦しさを内面で感じているのなら、そんな幻のため心身を
すり減らす自分なぞは、まだまだ余裕があるのだ、くらいに考えていたほうがよい。
それは、今日という一日を必死の思いで生き抜こうとするアフリカの子供たちの「生」に比べてみると、たぶんもうどうしようもなく「ぬるい生」なのだ。
だから、どうせ同じ「幻」に向かい合うなら、自分の「生」の眠った部分をたたき起こして、火をつけてくれるような、強烈なギラギラした光を放つ「幻」のほうに目を向けるべきだ。
あなたの隣の、同じように「ぬるい生」を生きる人と比べたって、ただじっとりと不快なだけで、
得られるものなど何もない。
私は今、もしそのような一日1ドル生活のアフリカの子供たちと向かい合ったなら、彼らの目を
正面からまともにみられないような気がして、しかたがない。
自らの気持ちのぬるさが、その瞳に写りこむような気がするから。
自分が「かわいそうだ、ツキがない」などといったぬるいセリフは、これからは、めったなことでは
言わないほうがよい。
遠い世界で、今日一日を必死に生き抜く人たちに、軽蔑されてしまうぞ。