本当に必死の転職・再就職活動かを、自問する。
中高年の転職・再就職活動の体験談などを読んでいると、「何十社に履歴書を送ったものの、ことごとく断られ…」「面接でいろいろとアピールしたものの、やはり中高年であることがネックらしく…」などといった苦労話を、よく見かける。
事実として、中高年の転職・再就職活動が若い求職者に比べて不利な面があることは間違いないだろう。
しかし、上記のような体験談にひんぱんにでてくる修飾語「何十社にも」「いろいろと」の中身については、一度よく見つめてなおしてみる必要がありそうだ。
このようにお手軽な一言で自分の苦労をまとめあげてしまう心理の裏に「本当にそれほどの情熱とエネルギーを、求職活動に注いでいただろうか」という自らへの検証を、おろそかにしている面があるのではないだろうか。
ここに「何十社にも履歴書を送って、面接にこぎつけたのは二社だった。面接ではいろいろとアピールにつとめたが、最終選考には至らなかった」という求職者が、仮にいたとする。
では、その履歴書を送った「何十社」の社名をきちんと書き出せるだろうか。
そしてなぜその会社に応募し、どのような履歴書を書いて、そのポジションに自身が適任である旨をどのようにアピールしようとしたのか、第三者に概要を説明できる程度に思い出せるだろうか。
「面接でいろいろとアピール」したと言うなら、それぞれの会社の面接で何をどのようにアピールしたのか、はじめて話を聞く人に対してもきちんと説明することができるだろうか。
私が以前勤めていた会社で面接する側にいた時は、すべてPCソフトで作成し印刷したものに印を押して送ってきた中高年求職者の履歴書を、何通も目にした。
職務経歴書はPC作成でOKとしても、履歴書は自筆で書くべきものであることは、ちょっとした指南書等にも書いてあるごく当然のことだと思う。
「字の向こうに表れる人柄をかいま見たい」という欲求も、面接する側は有しているものだ。
PCで書いてハンコを押した履歴書をそれこそ「何十社」に郵送することは、提出側としては手書きに比べ、楽で効率的なことは確かだ。
本人としても、「一生懸命に就職活動をやりました」という気分になるかもしれない。
しかしそういうひとつひとつが「薄い」活動を束ねて「何十社にも」と表現して済ませてしまう姿勢からは、自らの求職活動を「必ず実らせてみせる」という必死の思いが、個々の面接官には何ら伝わってこないものだ。
このことは求職する側として、おぼえておいてよいことのひとつだと思う。
求職活動や面接の場において、「いろいろと」「たくさん」「何十社も」などのフレーズを多用して自分の活動を形容する自身に気づいたら、それは真に具体的な中身を伴った求職活動なのかを、よく自問してみるとよいだろう。
要するにそういった言葉を隠れミノにして、密度の薄い求職活動・必死さのないぺラッとした姿勢を、さも中身があるように自分自身で思い込もうとしているだけではないのか?ということを、再点検してみることだ。
もし思い当たるフシがあるなら、おそらくそれが、あなたの求職活動がなかなかうまくいかない理由のひとつではないだろうか。
さて最後に、個人的に愛読していた、作家である森博嗣氏のウェブサイト「MORILOG ACADEMY(同サイトはすでに更新終了、残念ながら!)」に、この「いろいろ」という言い方について的確に評している部分があったので、以下にその一部を引用させていただく。
(引用ここから)
…「考える」という言葉を非常に安易に使っている人が多いと思う。
学生に「考えてきたか?」と尋ねると、「考えましたが、ちょっと良い案を思いつかなくて」と言う。…(中略)…「考えましたが、まだ、ちょっとまとまらなくて」と言うから、「では、まとまらないものを見せて下さい」と言っても、たいてい見せてもらえない。
…(中略)…「いろいろ考えてはいるんですけどね」と言い訳する人には、その「いろいろ考えたものを見せてくれ」と頼む。
ところが、たいていは、せいぜいあっても1つしか案がない。1つの案しかないのに「いろいろ」なんて言うなよ、と思う。 …(中略)…多くの人が言う「考えた」というのは、「考えようとした」のことらしい。同様に「悩んだ」も「悩もうとした」である。
(引用ここまで、MORILOG ACADEMY 2007年12月15日 【HR】本当に考えたの?より)
いかがだろうか。
私はこの話を読んで、自分がかつて企画営業マンとして働いていた時のことを思い出した。
プレゼンの時、クライアントに提案して通したい案がわずか一つしか思いつかない。
そのようなときに、明らかに通りそうもない別案をもうひとつセットにして持参し、クライアントの前では「『いろいろと』考えました結果、本日は最終的にこの二案に絞り込んでご提案したく思います。」などと、やっていたわけだ。
そのときのクライアントが、森氏のようなタイプの方でなくてほんとにラッキーだったと、今となっては自分のいい加減さにただ赤面するだけであるが。
「何十社も」は、実のところは「ほんの5~6社」にすぎなかった。
「いろいろアピールして」は、実のところ3つほど自分で長所と思う点を述べたに過ぎなかった。
話を聞く面接者は、言葉の裏に隠れたあなたの求職への「必死さ」を、なぜかしら敏感に見抜くもの。
安易に薄いコトバを使うことで、あなた自身の求職にささげている日々の「濃さ」を、薄めてしまわないようにしたいものだ。
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