HOME >> 言葉 >> 中高年の転職、決して「運も実力のうち」ではない。

中高年の転職、決して「運も実力のうち」ではない。


スポンサーリンク

数十通を超えて履歴書を送るような転職・再就職活動の最中、ようやく1社面接にこぎつけるも、残念ながら不採用となった。

魂をこめて書いた履歴書が、あまり読まれた跡もないままに、送り返されてきた。

最終面接で緊張してしまい上手く自分をアピールできないまま、どうやら他の候補者に内定をさらわれたらしい。


このようなとき、「今回は運がなかった」といって自分を慰めたり、あるいは身近な誰かにそう慰められたりすることがある。

また逆に、たまたま欠員補充の機会にめぐりあわせトントン拍子に再就職が決まったりした時などは、「運も実力のうちだから」と言って喜んだりもする。

「運」という単語を辞書でいくつか見てみると、「人知でははかりしれない、身の上の成り行き」とか「めぐりあわせ。幸運」などと定義されている。

いずれにしても「運」とは、「人的なコントロールの範囲を超えた」現象ということになっているようだ。

一方で「実力」とは、これも辞書の定義では「実際に持っている力量(仕事をするために必要な、知識・経験・資格など)」となっている。

ということは、その人の「実力」とは、「現実にその人に備わっている、なんらかの力」なのだから、その人の支配下にある力であり、その人の意思によってコントロールできるパワーであるはずだ。


だから、転職・再就職活動がうまくいった折に「運も実力のうち」などと言うのは、「そもそもコントロールできないものを、コントロールできる」と言っているに等しい。

理屈にあわないし、ある意味で傲慢な物言いでもある。


逆に失敗したときに「運がなかったから」というのも、不正確な表現だ。

採用する側が何人かの候補者の中からサイコロをふって決めているのだったら、あるいは「運がなかった」と言ってもいいかもしれないが、まともな会社ならば通常そんなことはあり得ない。

採用されなかった理由は、「採用活動の中止」を例外として考えると、「あなたの実力が先方の要求水準に達していないか」あるいは、「実力面で問題ないにせよ、その会社のニーズにはあわないと判断された」からの、いずれかであるはずだ。


前者の場合は、あなたは次は同じ轍を踏まぬよう、自らの「実力」のレベルアップに努めるべきだし(あるいは「今の自分の実力にあったレベルの会社まで選択肢を狭める」という手もある)、また後者の場合はあなたの転職活動にはなんら問題がなく、単にその会社とあなたの「相性」が悪かったにすぎない。

だから「運」などという、まったく関係のない言葉を持ち出す必要はない。正しくは、言葉の使い方が間違っているのかもしれない。

「今回は、あの会社と相性が良かった(あるいは、相性が悪かった)」というなら、状況の説明としては問題ないだろう。

「運」ではなく、「相性」というならわかる。ちなみに「相性」とは、「互いの性格・調子などの合い方」のことだそうだ。


細かい話をしている…と、思われるだろうか。


しかし現実のビジネスの世界では、説明のつかないことが生じたときに自分の頭を使ってその原因を考えることを止めてしまい、「運」などというあいまいなフレーズを持ち出し一件落着…としているケースがあまりに多い。

原因や理由をちゃんと説明できないことに対策を講じようとしても、基本的にうまくいくわけがないのだ。それこそ「運まかせの転職・再就職活動」になってしまう。


スポンサーリンク

あなたの場合、仮に「A社における転職面接が失敗した」ことが出発点になるとしよう。

次にB社を受ける前に、その理由を自分なりに、きちんと説明できるようにしておくことだ。

誰に対して?家族や誰か他の人、そして自分自身に対してだ。何のために?もちろん、次のチャンスで成功を得るためにだ。

上でも述べたように、「自分の実力不足やミスで失敗した」のか、それとも「自分の能力面では先方の要求を満たしているはずだ。相性が悪かったとしか考えられない」となるのか否かついて、自分なりにはっきりと一つの結論を出しておくことである。

順番としては、それをやった後にはじめて「対策」がくるはずだ。


自分があきらかに先方の要求水準に達せずに不採用となったと思い当たった場合は、あなたにも多少、反省の余地がでてくるかもしれない。

自分の実力を超える水準の会社なり職種なりに応募した段階で、あなたの選択ミスが起きているからだ。その失敗を、次に活かさなくてはならない。

候補先を自分のレベルにあった会社まで落とすことも、あるいは考えなくてはならないかもしれない。


しかし、「この応募先とは相性が悪かったのだ」という結論ならば、必要になるのは「気持ちの切り替え」だ。

この場合は、反省不要。なんら自分を責める必要はないのだ。


自分の転職先・再就職先として良いのではと事前に自分なりに判断した上で応募しているのだから、これは仕方のないことなのだ。


大抵の場合、応募先の会社の情報は、求人広告や人材会社からの間接的な情報として接する以外の術はない。

事前にその会社との相性の良し悪しを見抜くことなどは、まず不可能だからだ(もっとも、危険そうな会社を避ける手立てはそれなりにある。「事を起こす前に、よく調べたか。」「企業の求人広告、真の意図を読みにいく。」 ご参照)。

転職や再就職でうまくいかなかった場合に、応募者側に非があるかのような説明あるいは説教すら行う人材紹介会社などがあるが、少なくともこのようなケースにおいてその対応は間違っている。


だいたい中高年はスタートからいろいろな面で不利を受けており、ただでさえ気持ちが萎縮しがちなものなのだ。

サポートすべき立場の人材会社が、傷口に塩を塗るようなことを言ってどうするのだとも思う。

確かにあなたの実力不足やミスの場合もあるかもしれないが、あなたにひとかけらの責任も無い場合だって同様にあることを、少なくともあなた自身は心の中で確信しておくべきだ。

これまでそれなりの社会経験を積んできた中高年たるあなたが、そのようなときにまで理不尽にも反省を強いられる必要などまったくない、と私は思う。


結論として。

転職・再就職活動における成功と失敗・採用と不採用の結果は、「運」とはなんの関係もないことである。

あなたに必要なのは、なぜそういう結果になったかという分析をして、次に活かすために自分なりの結論を引き出すことと、地道に次の対策を講じることだ。


いつまでも「運」がどうこう…などと言っていると、そのうちに高額の開運印鑑セットなどを売りつけられたり、わけのわからない新興宗教の勧誘などにつけこまれるのがオチですよ(笑)。



スポンサーリンク

«一つ前のエントリーへ| 次のエントリーへ »


▲先頭に戻る


すべての記事(記事一覧)こちらから

【言葉カテゴリーの関連記事】

●現実を、「達観」せよ。
●決して、自分を責めるな。
●自分を励まし、道を照らす「言葉」を持ちたい。
●同じ「幻」と向き合うなら、光が強烈なほうを選べ。
●本当に必死の転職・再就職活動かを、自問する。
●中高年の転職、決して「運も実力のうち」ではない。
●カオス(混沌)に生きる、自分の気持ちを慣らす。
●視界不良の雇用環境下、一人の中高年求職者として。


姉妹サイトも、あわせてご覧ください。
「中高年の資格取得、ホントに役立つ資格はコレ!」
「団塊世代~定年後・退職後をよく生きるヒント」
「共済 その魅力~保険との違い・比較のポイント」
「国の教育ローン 知っておきたい貸付と審査の概要」


▲先頭に戻る