自分を励まし、道を照らす「言葉」を持ちたい。
安易に他人のアドバイスに頼るのも、どうかとは思う。
また、心のスキを下手なかたちで外に見せると、新興宗教などの勧誘や悪質な商法のカモにされとんでもないめに会う危険性だってある、御時世だ。
しかしまた、人はおのれの信念だけを拠り所に、人生を生きられるものではない。人はそれほどまでに、強くはできていない。残念ながら。
たまたま、人生の後半に差し掛かった今、新たに生活の安定を得るための職を得るということが、我々の人生のメインテーマのひとつになってしまっているわけであるが。
そういう今、心がフワフワと所在なく漂っているような気がしている方は、今の自分が置かれている状況や今の自分の思いを照らす道あかりとなるような「言葉」を自分の手もとに置いて、時々は読むともなく読み返してみるのが良いように思う。
別段、権威者や宗教家・有名人の言葉でなくたってもちろんよく、誰の言葉だってよい。
自分で作ってもよいのだが、世界とのつながりを感じるためにも、できれば自分以外の誰かの言葉のほうがよいだろう。
文章でなくとも、詩でもフレーズでも熟語でも、要するにあなたの心の内に深く届いたメッセージを身近に置いて、しょっちゅう気にかけてあげることだ。
それらの言葉を、身近ですぐ手の届くところに置いておくと良い。
本であればいつも使う机の前の書棚の目につくところに置き、ノートに書きとめたなら、そのノートをいつでも広げられるようにしておくとよい。
インターネット上でも、時おり素晴らしい「明日を生き抜くための言葉」に出会うこともある。
あなたの心の奥に届いたフレーズをノートに書き写し時おり眺めるのも、また励まされるものだ。
以前たまたま見つけたこの記事も、読み返すたびに力がわいてくるような気がする。
引用しておこう。
打ち負かされる事自体は、何も恥じるべき事ではない (Gigazine 2006年8月16日付記事)
自分の心の琴線に触れ、なにか奥深くに届く「言葉」がいくつかでもあると、日々のさほど変わりばえがしない生活を送るなか、わずかながらも心に安定感がでてくるように思えるものだ。
自分が迷ったときにその言葉が、自分の必要な場所に戻ってくるための目印になるような気がしてくるのだろう。
私見だが、それらの言葉は「道そのものではない」ので、全面的に自分を放棄してその世界に没入してしまってはならないように思う。
あくまでそれらの「言葉」は触媒であり、自分が忘れ見失っていた何かを呼び戻すためのきっかけであり、スパイスであるべきだ、と思う。
手を伸ばせばその言葉に触れられることで、自分が世界のどこかとつながっているような感覚を、かすかに感じさせてくれる気がする程度。
それくらいで、ちょうどよいように思う。
最後に私が手元においている一冊、そしてそこに収められている中から一つだけ引用して、紹介しておこう。
「私にとっての大切な言葉」を、私が持っている証として。
”人間は誰一人として理想を生きてはいない。
理想を持ちながら、現実は妥協で生きている。
我々の生きる現実、対面する真実は、理想にはほど遠く、善悪の区別にも歯切れが悪く、どっちつかずである。
しかしむしろその曖昧さと混沌に耐えることが、人間の誠実さと強さというものなのである。”
(「孤独でも生きられる」曽野綾子 著 イースト・プレス)
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