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家族や友人に「たまには」甘えろ。



家族もいる中高年にとって、定職を喪失した状態が続くと、どうしても先々について暗い想像ばかりが先にたち、口数も少なくなり、自分のなかで一人、自身を責める問答を、えんえんとくりかえしがちになる。

この場合は、とにかく声に出して、心の思いを外に吐き出すことが、一番効果がある。



アタマの中で考えているだけではダメで、「声にだして話す」という行為そのものがすごく重要なのだ。


これは、コミュニケーションとしてできるなら、それが一番いい。

平たく言えば、誰かと会話して、グチをこぼし、悩みを聞いてもらうことだ。

家族のある人は家族と。仲のよい友達がいる人は、友達と。


え、周りに相談相手が、誰もいない?

なら、まだ明るいうちに、人気のない広場や公園に行ってみよう。

周りを見渡して、誰もいないのを確かめてから、「ツライよう!」と叫んでみよう。

その辺を走り回っている犬や猫に向かって、話しかけてみるのもよい。

誰もみていやしないんだし、別にいいではないか。

とにかく、声に出してしゃべらないこと、これがいちばんよくない。

カタチなどどうでもいいから、とにもかくにも、いったん声に出して、外に向かって胸のうちを、吐き出してみることだ。

いずれにしても「一人で抱えこまない」「つらい時は、誰かと話す、口に出してみる」。

これが鉄則だ。


注意点が、ふたつある。

一つめ。こういう愚痴話をしても許されそうだと、あなたが思う相手だけにしておくこと。

理由はいわなくてもわかるだろう。

二つめ。聞かされる家族や友人も、そうしょっちゅうアナタの愚痴ばかり聞かされるのは、たまらないだろう。人にココロのうちを開いて甘えるのは、あくまでも「たまに」という程度にとどめておいたほうがいい。

たとえ、それが身内であったとしても。

だから普段は、声に出してグチをいいたいときは、誰もいない公園にいって、一人ブツブツとやることにしよう。

実は、私も時々やっている。

別に、恥ずかしいとは思わない。

自分以外にも、そんな人がいくらでもいることを、よく知っているから。

ま、ただ、危ない人と間違われぬよう、くれぐれも周りの様子を確かめてからにしてほしいが。



24時間を自由に使える、素晴らしさ。


「タイム・イズ・マネー」という箴言のもつ奥深い意味に、いったいどれほどの人が気づいていることだろう。


そう、「時間」と「お金」は、完全に等価である。


いや、「時間」のほうが「お金」よりはるかに貴重な場合だって、世の中にはずいぶんとありそうだ。


もちろん、逆の場合だってたくさんあるだろうし、「オレはそっちのほうがいいんだ」と言いたい人も、いることだろう。


しかし、とりあえず今のあなたが潤沢にもっている資源は、「お金」でなく「時間」のほうだ。


それを単に湯水のように浪費した日々をすごすことが、いまのあなたにとって賢明な選択だとは、いえないだろう。


今、あなたが自分の判断で一日24時間を好きに使える立場にあるのなら、考えようによっては、これほど幸せなことはないのだ。


「ヒマだ、何しよう」などと、寝ぼけたことを言っている場合ではない。


あなたがやるべきことは、はっきりしている。


「お金と時間が等価ならば、あなたのもっている時間を、お金に変換する術を身につけること。」


これこそが、あなたが今、もっとも成さねばならないことなのだ。


どうすれば、あなたの「時間」が持つ価値にふさわしい金額の「お金」に、あなたの「時間」を変換させていくことができるのかを、よく考えてみることが必要だ。


技術の習得?
資格の勉強?
就職面接のトレーニング?
空き時間を使って、コンビニでアルバイト?


どうするのがもっともよいのかについては、今のあなたのおかれた状況と、あなたの考え方がどうかで、やり方は幾通りもでてくるだろう。


ここで言えることは、ひとつしかない。


今のあなたにとって、時間とは浪費するものではなく、なんとかして「お金」に変換させていくべき「資源」なのだ。


それを肝に銘じておこう。



事を起こす前に、よく調べたか。


求職の現場では、意外なことに、就職における求人数が求職数を上回るケースが、ままある。



たとえば保険代理店のコミッション制の営業員や、飲食店のウェイター・ウェイトレス、助産師などは、今日では大抵の場合、人手が恒常的に足りない職種となっている。


保険代理店の営業は、保険の普及率の飽和感があるなかで、新規開拓のノルマなどもあいかわらず厳しく、やはりストレスが大きくかかるからだろう。


ちなみにノルマがないとして募集しているところもあるが、だからといって、新規契約ゼロのままのあなたを企業側が何ヶ月も快く放置してくれるかどうか、ちょっと考えてみれば、すぐにわかることである。


飲食店のアルバイトは、もっぱら即金が手にできる超短期のバイトに流れがちな若年層を定着させることがなかなかできず、補充を続けてもすぐに辞められてしまうというイタチごっこから、なかなか抜け出せないでいるようだ。


いまやレストランやファミレスなどで、結構な年配層の方から接客を受けることはまったく当たり前となっているのは、ご存知のとおりだ。
そういう時代なのである。


助産師、また看護士なども同様に分類されるが、これは資格も必要であること、そして場合によっては24時間営業状態の激務となるため、よほどの使命感がないと、なかなか成り手がいない。


このように、求職数が求人数を上回っているような場合は、それなりに理由・裏の背景事情がなにかしらはあるものである。


もちろん、あなたの24時間だし、あなたがそういった求職面での有利さからこういった職種に応募することで、職を得るチャンスも広がるだろうから、別にあなたの応募を止めるつもりで、このような例をあげているわけではない。


短期だとしてもどうしても仕事に就かなければならない事情があるとか、なにかしら差し迫った理由がはっきりとある場合には、なおさらだ。


しかし、単純な印象や選り好みのレベルで言っているのではなくて、応募する前に自分でよく調べることの必要性は、やはり強調しておきたい。


あなたは、その企業が出している求人広告以外に、その仕事・職種について、今とこれからの自分の状況と照らし合わせて、よく調べたうえで、応募しようと考えているのだろうか?


単純に、現在の不安定な状況から逃れたい一心で、マイナス点に目をつぶったり、あるいは目の前のおいしそうな求人広告のPR文に、つられているだけではないのか?


今、転職・就職活動をするにあたって、ひと昔前と決定的に異なるのは、インターネット、なかでも容易な情報収集が可能となる、すぐれた検索エンジンの存在だ。


目の前のパソコンを立ち上げて、Yahoo!やGoogleなどの検索エンジンのボックスに「××業 仕事内容」「××会社 評判」などとちょっと打ち込むだけで、さまざまな情報を手に入れることができる。

今、これを見ているということは、それをできる環境が手もとにあるということでしょう?


街中にはネットカフェだってあるし、キーボードさえポツポツ打てれば、こうやって自分で調べることはできるはず。


とにもかくにも、こんな便利なものを使っていないとしたら、あまりにもったいない。


むろん、ネット上に有用で真実の情報がどれだけあるかという問題はあるが、そんなことを言ったら、あなたが見ているその企業の求人広告だってそうだろう。


要は、さまざまな情報を見比べながら、共通しそうな「最大公約数」の情報を探り出すことだ。


今のあなたには、調べる時間だけは、たっぷりあるはずだ。
なのに、ろくすっぽ調べないままに事にあたる人が、現実はあまりに多い。


「何でもやってみなくてはわからない、あたって砕けろ」というのは、はっきりいえば、ある種の思考停止状態になっているか、調べるのを面倒くさがっているか、あるいは本当にあたって砕けるのが好きなのだとしか、思えない。


失敗は悪いことではないが、同じ失敗するのなら、体力と気力に満ち溢れ、失敗を吸収してエネルギーに転化できるパワーの高い、若いうちになるべく済ませておくべきであった。


40代・50代ともなってきたなら、失敗は事前に回避できるなら回避するに越したことはない、と思う。


そもそも、それくらいの知恵を働かせられるようになっていないと、これまで年輪を重ねてきた甲斐だって、ないでしょう。


ということで、もう一度最後に、強調しておきたい。


事を起こす前に、自分自身で、よく調べることだ。


中高年として転職・就職活動をするあなたにとって、調べるプロセスをはしょることで失うものは結構たくさんあるし、逆にそうすることで、危険を回避できる可能性も高まるし、そのまま応募するにしても、心の準備をしたうえでより賢明な判断をすることができるはずだ。


自ら時間を使って調べる手間ヒマを、惜しんではならない。



パート・アルバイトの本質は、「時間」の切り売り。


中高年であるあなたにとって、というよりも正確には誰にとってもそうなのだが、あなたにとって最大の武器でもあり、唯一の貴重な資源ともなるのが「時間」だ。


パート・アルバイトをすることで少しでもお金を稼ごう、という気持ちはとてもよくわかるし、そうしなければ生活も厳しいということであれば、緊急避難的にパート・アルバイトをすることは、やむを得ないかもしれない。


ただ、あなたがパート・アルバイトで時間を費やすということ、それは『あなたの貴重な武器・資源である「時間」を、一時間あたり600円とか1,000円の金額で、切り売り・バラ売りしている』のだということは、頭の片隅に置いておく必要がある。


あなたはひょっとして、その数百円の時給のかわりに、失った時間をもっと高い価値に変換できる可能性が、あったかもしれない。
あなたはその点について、真剣に考えてみたことがあるだろうか?


ひょっとして、なにも考えず手元のパート・アルバイトをめくって、近くのコンビニでたまたま中高年枠の採用の空きがあったので、面接に行ってみた。
幸いにも採用され、居心地も悪くなく、数ヶ月そのままそこで働いている。
そんなところではないだろうか?


繰り返すが、パート・アルバイトをすることが悪い、するな、と言いたいのではない。


ただ、あなたには、そのパート・アルバイトによって、あなたの貴重な「時間」を切り売りしている事実を、時々でよいからきちんと意識してほしいのだ。
そして、一度切り売りしたその時間は、二度と戻ってはこないことも。


もしかしたら、あなたはそのパート・アルバイトの時間を使い、サラリーマン時代は忙しくてできなかったあの資格の勉強にあてていたなら、ひょっとしたら今頃は、試験に合格していたかもしれない。


もしくは、その時間を使って、もう五枚でも十枚でも多く履歴書を書いていたら、ひょっとして採用
され、今頃は正社員として働いているかもしれない。


もちろん、すべて仮定の話だ。
しかし、思考すること・よりよい可能性を探ってもがいていくことを、完全にストップしてしまえば、
可能性もそこで止まってしまうことも、また事実だ。


一番に恐れるべきは、自分のこれからの人生について考えるのを止めてしまうことだ。
惰性で現実に流されてしまう日々を送ることこそを、もっとも恐れるべきだ。


まだ何もやってもいないのに、あなたがアルバイトでコンビニのレジを打つ以外に、もっと大きな
価値にあなたのその時間を変換できる可能性がないと、いったい誰が言い切れるのだろうか?


何度でもいうが、今サラリーマンとして定職を持たないあなたにとっての唯一最大の武器は、「時間」なのだ。
それをどう活用するか、そして試行錯誤したその結果が、あなたのこれからの人生そのものとなる。


何も考えずに、パート・アルバイト生活で人生を費消してはならない。
その時間の使い方が自分の人生にどういう意味をもたらしているか、絶えず自らに問うてみるべきだ。


だから、あなたの時間をどう活かすかについて、あなたが自分自身でそれを考えることだけは、
どうか忘れないでほしい。


あなたの時間の使い方について真剣に考えてくれる人は、あなた自身のほかには、この世に一人もいないはずだ。


パート・アルバイト、気をつけるべきこと。のコラムでは、パート・アルバイトを行う場合の
現実的アドバイスについて、書く。

 



企業の求人広告、真の意図を読みにいく。


あなたは今、求人広告や就職情報誌をみて、せっせと履歴書・職務経歴書作りにはげんでいるかもしれない。

そのような気概に水を注すようで申し訳ないが、あなたがその履歴書作りに費やした時間は、
ひょっとしたら、まったく「無駄な行為」、徒労というヤツであるかもしれないのだ。


いや、怒らないでほしい。


「応募してみなければ、なにも始まらない」とか、「1件でも多く応募することが採用につながる、
と教わった」とか、反論したいことについては、大方はわかるつもりだ。


私が上で「無駄」と言ったのは、あなたが履歴書を書いて応募し、面接をきちんとすませたものの
最終的に不採用となった、というような、通常のケースを指しているのではない。


その場合は、チャレンジし、選考を経た結果、採用とならなかったという、「一連のプロセスと
その結末」の問題であって、その場合の求職活動にはもちろん、きちんとした意味のある時間の
使い方としての意味を、見出すことができる。


たとえうまくいかなかったにせよ、先方の人事採用担当も、あなたのために時間をとり、履歴書を
読み、面接で質問をいくつもしてくれた。

双方が時間を費やしあった後に折り合わなかった場合は、残念な結果であるにせよ、それを無駄な活動と呼ばないのは、ごく当然のことだ。


私が言いたいのは、「希望条件どおりの能力を持つ人や、年齢層で条件を満たす人がもし現れたとしても、本心では採用するつもりがないにもかかわらず、求人広告を出しているとしか思えないケースが、現実によく存在する。少なくとも、応募する側のあなたにとっては、そのような企業の求人に応募することは、結果として時間の無駄になると言わざるを得ない。」と、いうことなのだ。


採用するつもりがないくせに求人広告を出す企業など、あるはずがない、と思われるだろうか?

それがあながち、そうとも言えないのである。

いや、もちろん企業側だって、口では「年齢にこだわらず、いい人がいれば、いつでも積極的に採用したい」くらいのリップサービスは、当然する。

ひとつ例をあげて説明しよう、こういうことだ。

ある管理部門の中堅社員が1名退職し、その補充として1名採用をかけることにした企業があるとする。彼の年齢が35歳だったとしよう。
そして、彼の直属の上司が37歳で、退職前に彼が面倒をみていた後輩社員が30歳だったとする。

この場合、その企業が真剣に採用を検討する年齢層というのは、ほぼ自動的に「32歳から35歳
くらいの間で、なおかつ採用条件にかなう人材」に落ち着く、ということだ。暗黙の合意、というヤツである。

その分野に経験が豊富な40歳の応募者が採用される確率は、上司が年下であるこの場合は、ほとんどゼロといってよい。いかに能力的に優れていても、最終的には、書類選考からはずされるだろう。

いや、むしろ37歳のその直属上司をしのぐくらいに仕事が出来る部下は、最初からきてもらっては困る、というのが、本音かもしれない。

逆に、若いからといって、いくら能力があっても20歳代が採用されることもこの場合はなさそうだ。
30歳の社員に新たな部下ができて負担が増えることになるし、残った二人の間にできるコミュニケーションギャップを吸収する存在がないことへの、恐れもあるからである。


このケースのように、「30歳の後輩社員と37歳の上司の間をつなぐ役割として最適な年齢の人物がもしいるならば、その場合にだけ一人補充しよう」、くらいのハラで企業側が考えているくせに、希望より全然ゆるやかな条件の求人広告を出している…などというケースが、実に多いのだ。


こういうケースでは、決まって「年齢不問」とするか、または「30歳から40歳位まで」と、本当の希望より年齢幅を広くとって、広告を出す。

年齢差別の指摘を受けることを回避したいがためであろうし、そうすることで、ひょっとしたら、思わぬ掘り出し物の人材が出てくるかも…との期待でも、抱いているのかもしれない。

いずれにしても、彼らは希望する対象以外の応募者層については、書類選考でどのようにも
コントロールできる。
そのような求人広告がでてくることを止める手段なぞ、ないのである。


むろん、こんな企業ばかりではないことも、申し添えておかなければならない。
本当に希望する年齢層と対象者が決まっている場合は、ちゃんとした企業なら、並行して専門の
人材会社に、個別に依頼をかけていることだろう。


しかし、成功した場合の支払報酬の高さを嫌ってか、求人広告誌やハローワークに、漫然と募集基準を緩めた広告を出し続け、応募者がある程度きてからちゃんと考えよう、といったアバウトな考えの会社も、実にたくさんあるのだ。


では、そういう姿勢の企業を事前に見抜く方法は、あるのだろうか?

結論から言えば、「ない」。

求職者には、上で例に出したような企業側の個別の背景事情など、知る由もないからだ。

しかし、100%防ぐことは出来ないが、そのような企業に対するあなたの「感度」を磨いていくことで、ろくに見られもしない履歴書を、郵便代と手間をかけてやみくもに送りまくる愚を減らしていくことは、できると思う。

そのためには、その求人広告だけを見ていては、ダメだ。

たとえば、これまで買った古い求人情報誌も捨てずにとっておき、その企業がいつから求人広告を出しているのか、以前はどういう広告を出していたのかを調べてみる。
ネットで、その企業へ就職活動をした学生の口コミ評判などが、書き込まれてはいないだろうか。

その企業での業界のポジションや、社風はどうかについて、図書館で業界誌をめくってみる。
また、同業他社と同じような年齢層を求めているのか、またはその会社だけ、採用対象層が明らかに異なるのか。

あるいは、思い切って、少し補足で説明してほしいなどの理由をこしらえて、採用担当窓口に直接電話してみるのも一法かもしれない。

対外的にちゃんと説明できる採用理由があるなら、多少なりともまともな説明をしてくれるはずだ。
「とにかく履歴書を送れ」の一点張りなら、これは要注意だ。


自分なりに考えうる方法で調べ、その企業がとりそうな発想について仮説を立ててみる。

その結果、あなたのアンテナに引っかかるものがあるなら、その会社の応募を止め、その時間をほかの会社にアプローチに充当することを、私としてはオススメしたい。

そのような場合、本当に「何かがある」ことが、多いものである。

懸命に研ぎ澄ましたあなたのアンテナを、あなた自身は、信じてあげることだ。



中高年こそ、自分が得意な、強い分野で闘え。


中高年専門の求人誌なり、フリーペーパーなりを、コンビニや駅のホームで手にとってご覧になったことは、あるだろうか?


異常なまでにペラペラと薄い、しかも応募する職種が極端にかたよったそれらの求人誌を。


見るたびに、やり場のない怒りのようなものがフツフツとこみ上げてくるあなたは、感情が正常に
機能しているのだと思う。


しかしそうはいっても、残念ながら、これが今の日本の現実。


必要とされているのは、緩やかな賃金上昇カーブが期待でき、体力にあふれていて、過酷な長時間労働に耐えてくれそうな新卒などの若い労働力層ばかりである。


こういう現状そのものに異議を唱え、その改善をはかっていくのも、それはそれで筋の通った一つの方法であろうが、一個人にとっては、きわめて膨大な時間とエネルギーを必要とすることだ。


このサイトを訪れているのは、「自分のことで手一杯」という方たちが大半であろうし、ここでは
求人と求職の問題に絞って、この問題を考えてみたい。



数少ない中高年の求人職種を見渡してみると、共通する傾向としては;


(1)いわゆる「単純労働力」で構わない、と考えて募集している。


単純労働力の単価が概して高くない理由は、経営側のコスト削減の側面もあるだろうが、そもそも長時間労働になりやすい性質の仕事であることが大きい。
労働者を高単価で優遇していては、追いつかない構造の仕事だということだ。


一言で言えば働く側にとっては「労働条件がよくない」ということだが、始末におえないのは、これらの中には、経営側の自助努力で改善をはかることが、構造的に困難なものも含まれていることだ。


介護関連の職種などがまさにそうで、需要がこれだけ多いにも関わらず、介護保険法の制度的
制約により、賃金上昇の可能性が構造的に抑えられている仕事もある。

経営者は大幅に給料をアップして、有能な人材を大々的に集めたくたくとも、構造的にできない
(会社を破綻させる覚悟があるならば、別だが)。


ところで上記で「単純労働力」という言葉を使ったが、介護関連の仕事はその例外に当たるだろう。

単価が高くないにもかかわらず、ある意味でこれほど、熟練性と技量が必要とされる職種も、また珍しい。


こうなると雇う側も、働く側の献身に期待する面が、どうしても大きくなってくるのではないだろうか。それなのに、高賃金でそれに応えることができない。

介護福祉士の有資格者の4割強が、資格を持ちながらも介護現場で働いていないとの報道が先頃あったが、さもありなん…というやつである。


(2)基本的に、「働いている人の取り替えが効きやすい仕事」の募集が多い。


ひらたく言えば、「私やあなたでなければどうしても駄目」ということがない。
これは働く側からすれば、「雇用と生活の不安定」を意味する。


(3)「精神に厳しい負荷のかかる、ストレスを強く感じる職種」の募集が多い。


ノルマに追われる保険の外交員や、不動産の営業販売員などをイメージしてもらうだけで、
おわかりと思う。
いわゆる「成果報酬型」「歩合制」を謳う仕事が、多く含まれるようだ。


「精神的につらい」とこぼしていられるうちはよいが、自律神経失調症になったり、健康を害するようなことにでもなっては、大変である。


これらの職種であっても、天職かと思うくらいに、ストレスフリーで活躍する有能な人間も、確かに存在する。
しかし、問題は、「あなたが、そういう人間かどうか」ということだ。


これらの世界に関わり合いのなかったあなたが飛び込む場合には、世間一般で語られるイメージどおりの世界にあなたもまた巻き込まれていくであろうことは、さほど想像に難くないと私は思う。



さて、書いていてこちらも気分が沈んでくるのだが、中高年の求人募集を見渡してみると、広告の彩りがいくらよくとも、上であげた(1)-(3)の特徴がやはり共通していると、思わざるを得ない。


ここまでは、皆さんも薄々、気づいていることだろう。


それでは、中高年の転職者は、どう行動するべきなのだろうか。

なにか募集側と応募側の双方にとって、よい解決方法はあるのだろうか?


私には、このような状況を打破するためのよい解決方法は、正直思いつかない。

ただし「あなたにとって」なら、ひとつだけ、有益で現実的なアドバイスをすることはできる。


あなたが、よほど自分の精神の強靭さに自信があって、またそれらの仕事に対する強い思い入れと、社会的使命感を持ち合わせた人間でもない限り、上で緑字で記した(1)から(3)の項目にあてはまるような仕事には、はじめから近づかないようにすることだ。
そういう仕事を「定職」と考えて接することは、絶対におすすめしない。


目先のキャッシュが必要なら、いっそアルバイトでもして、当面をしのぐほうがまだよい。


あなたは、「これは自分でなければできない」と自分自身で思えるような仕事を、なんとしても選ぶべきだ。


そうしないと、あなたにとって一番大切な、あなた自身の「心の平安」が保たれないからだ。


人の評価は、ここでは関係がない。

少なくとも、自分がやることについて、内心でなんらかの意味を見出せる仕事であることが、
重要なのだ。


なぜなら、あなたがそう思うということは、とりもなおさず、上記であげた緑字の(1)-(3)の性質をもつ仕事から、遠ざかっていく可能性が高いからだ。


これまで自分が長年携わってきた仕事、社会で培ってきた得意分野、自分で工夫して磨いてきた強み。

そういった線から発想を伸ばし仕事を探していくことこそ、たとえ遠回りではあっても正しい選択となる。



自分は強みなど何も無い、という方。

あなたがこれまで社会に何十年もかかわり、なんらかの仕事を続けてきたのなら、その分野で
自分なりに強いとか得意と思うことが、無いはずはない。
絶対に。


妙に自分を卑下したり、謙遜したりするのは、すぐに止めることだ。

誰か他人に、あなたの強みを判定・評価してもらうわけではない。


あなたが自分で自身の強みとなる能力を見出し、それを自らの拠り所として信じ頼んで、就職活動という”戦闘”を闘い抜くことこそが、重要なことなのだ。


長年働いて経験を積み、技能を磨いてきた中高年こそが自らの得意分野・強みを活かした仕事で働かずして、いったい他の誰がそうするというのだ。


自分の強みから発想して粘り強く自分の仕事を探していくことが、求職情報誌にあふれる「あなたでなくともよい仕事」を選ぶことよりも、長い目で見ればきっと、あなたにとってよりよい結果をもたらすものと信じる。



「五感」を日々、できるだけ使い、動け。


「働く」という字は、「人が動く」と書くが、失業したりするととたんに動くのを止めて、家の中にひきこもってしまったり、あるいはネット喫茶などで終日マンガなどを読んで、時間をつぶしてしまったりする人がいる。


ネット喫茶がよくないと、言うつもりはない。

ただし、一箇所に引きこもって、動き回るのを止めてしまうこと、これは悪い。


なぜなら、働く、すなわち社会において、あなたという「個」が動き回ることを止めてしまったなら、あなた自身の「五感」が、どんどん退化してゆくからだ。


そして社会の中で動き回るという感覚が鈍っていき、会社で働いている人たちとの時間感覚との間に、徐々に乖離を生じるようになってゆく。


すなわち、「社会の中で人と交わることで得られる、人生の喜怒哀楽の生々しい手ざわり」のようなものを体感するセンスが、失われていく。


自分の表情や感性が、生きているのか死んでいるのかわからない能面のようになってしまうのをイヤだと思う人は、自分なりに意識して、そのようなセンスのみずみずしさを失わないように、心がける必要があると思う。


そのために、二つ提案をしたい。


一つは、動くこと。
外に出て動き回ることそのものが大切なんだと、いつも意識しておくこと。


もうひとつは、いわゆる「五感」を、日々働かせるようにつとめること。


「五感」を研ぐ方法論については、ひとつだけ、例をあげたい。


たとえばあなたはいつも同じ、または同系統の色の服を着て、日々の生活をすませていないだろうか?

一週間ぐらいずっと、グレーのすすけたスウェット姿のまま、過ごしているのでなければいいのだが(笑)。


色の持つパワー、色彩というものが心理に及ぼす影響に多大なものがあるということは、あなたもすでに知っていることだろう。


いろいろな「色」を、見てみる。目にやきつける。


そして、これまでの自分なら絶対に着たことのないような色の服を着て、街に出てみることを、オススメしたい。


闘争心をかきたてる色の代表は「赤」。落ち着きを出す色は「茶」。
就職試験の面接では、背広の定番はなんといっても「濃紺」か「グレー」だ。
面接官が色を通じて受ける心理的印象というものが、明らかに存在する証だ。


だから、あなたは身の回りのいろいろな「色」を、日々とりかえるように配することで、色を見て感じる「視覚」に、変化をもたらすことができるわけだ。


この一週間ずっと、家でグレーのスウェットをきてゴロゴロすごしているなら、赤のセーターや
ライトイエローのシャツなどを着て、街中に映画でも見に行くというのはどうだろうか。


赤いセーターなんか生まれてこのかた、着たことがない…という中高年の方も、多いだろう。


私もそうだった。
最初に袖を通したときの、息詰まるような、自分が自分で無いような感覚は、今でも忘れられないくらいだ。


しかし努力の甲斐あって、今では赤い色のセーターを着るのが、好きなオジサン(笑)になった。


一口に赤色といっても、微妙に色が違うものだ。


ある赤色は自分にピッタリくるが、この赤色は好きになれない…などと、細かい部分にも、目がいくようにもなってくる。


ということで、オジサンたちは、多少勇気をふるって明るい色の服を着ることに、チャレンジしてほしい。


家族や友人の意見も取り入れて、新しい自分の姿を発見してほしいものだ。


そして、街中にでたら、道を歩く人々のファッションを観察してみる。
テレビのニュースなどでは、オバマ大統領や麻生総理の、背広の色やネクタイに注目するとよい。


あなたはふと、気づくはずだ。
会社員時代は、自分に関係のあるごく一部の世界しか見ていなかったことに。

通りすがりの通行人など、これまでは、道端の石ころと変わらないくらいの感覚だったことだろう。


しかし、自分とまったく無関係な人を遠くからみて、「服の色が似合っているな…」とか、「もっと明るい色の服を着ればよいのに…」、などと、とりとめのない観察を続けていると、この社会が人の集合から成り立っていて、この世界が自分の思っていたよりもずっと広くて奥行きが深いものだと、感じる瞬間が、たぶんあるはずだ。


色を通じて、視覚を磨く例をあげたが、残りの四つの感覚についても同じように、いろいろなアプローチが工夫できるはずだ。

聴覚なら、音楽。味覚なら、珍しい料理。嗅覚なら、アロマなどはどうだろう。



無意味な行為だと、思うだろうか?


あなたはそうしている瞬間、「視る」ことを通じて、色彩に対する感覚を磨いているのだ。
色の乏しい室内やネット喫茶にこもるだけでは鈍る一方の、外の世界へ接触する感覚を、鍛えなおしているのだ。


こんな話、中高年の転職・就職にいったいなんの関係があるのだ、と思った方。
アナタは、アタマの筋肉がすでに、コチコチに凝り固まっているおそれがある(笑)。


今の世の中、仕事を得たければ、仕事のことだけを考えているのは、むしろダメなのだ。


もう一度言うが、働くということは、「人が動く」ということ。

動き回り、社会や人と接触し五感を研ぎ澄まして、世の中に向き合う気持ちを持つこと。

自分以外の他の人たちが、同じようにこの社会で動き回っているのだと、皮膚感覚で実感すること。


そういう感覚さえ保っているなら、いつかは社会のほうから、あなたに接触してきて、その再びの参加を求めてくることだろう。


社会の動きの中に再び飛び込んだその日から、これまで何事もなかったかのようにバリバリと働けるように、パソコンでいうところの「スタンバイ」の状態を、自分なりに工夫して、保ちつづけるようにしたいものだ。



ルールの変化の潮目に、敏感になる。


いくら中高年の転職・就職状況が厳しいからといっても、「仕事に就きたい」「今の生活レベルを
維持したい」と身の回りのことだけで頭の中をいっぱいにしていると、まったく別の方向から思わぬ
衝撃がやってくる可能性に、思いがいたらなくなってくる。


たとえば、あなたは自分を取り巻く社会・企業のベースとなる「ルール」(さまざまな局面での取り決めごと・暗黙ないし明示された合意を、とりあえずここでは、"ルール"と呼ぼう)が変わることで、自分自身が影響やダメージを受ける可能性について、ここ最近、チラッとでも考えてみたことがあるだろうか?


社会を構成する側にいる政党・政治家・行政機構、民間では会社を動かす側の経営陣。

彼らは自分たちの目的達成のため、前提となるルールそのものを、自分たちに有利に変えて
しまおうと、常日頃から腐心しているものだ。


ここは間違えてはいけないところで、彼らは国民や従業員と同じ土俵の上にたって、その上で権力を使って有利な立場を強めることによって、自分たちに都合のいいように事を運ぼうとしているわけではない。


そうではなく、「ルールそのもの」を、自分たちにとってより都合がよい方向に、合法的・合理的に変えようとするのだ。


いったんルールとなってしまえば、そのゲームの参加者は全員一律、それに従わざるを得なくなるからだ。


このルールは、政治・行政で言えば法律や通達、民間企業で言えば定款や業務運用規程の変更にあたるわけだが、現在自分たちがどっしりと乗っかって生活している土台となるルールそのものが、ガラガラと音を立てて崩れるかもしれない…などとは、普通はこれっぽっちも、考えやしないものである。

 

また、これまでの変化はどちらかというと、いわば「満ち潮型」であった。


ある方向からひとつの波が押し寄せても、いったんそれが反対の力で押し戻され、また攻め入ってきてまた押し返し…といったプロセスを経ながら、少しずつ最終的な方向性が固まってくるような感があった。


変化は潮が満ちるようにゆっくりとやってきて、私たちの生活を少しずつ、浸していった。


しかし今は違う。今日では、いわば「オセロゲーム型」に変わってしまった。


いったん既存メディアやインターネットにのってしまうと、一方向にものすごい加速がかかり、あたかもオセロゲームで盤面が、白からあっというまに黒になってしまうかのように、気がついてみるとある日を境に、状況が一変していることすら珍しくない。

 

たとえば、政治の世界。


衆院選が近いと噂されるなかで権力構図が大きく変わり、かつての小泉チルドレンと呼ばれる議員らは、すっかり所属政党である自民党からも冷遇される風向きである。

小泉元首相が衆院解散して勝利した後は、意気揚々とした表情が連日テレビに出ずっぱりだったのに、今やほとんど話が伝わってこない。


たとえば、民間企業の世界。


去年までは、「バブル期以降の超売り手市場」ともてはやされ、大学新卒は全体として、ひっぱりだこの状況にあった。

しかし、米国のサブプライム問題に端を発した金融危機以降、日本経済を牽引する輸出型企業と金融業界を中心に、すでに業績面・財務面でのダメージを大きく受けている。


さて、日本経済の橋頭堡となるこれらの産業が失速しかかっている現在、大手企業は「新卒の積極採用」という社会的な”暗黙のルール”を、このまま変更せずにいられるだろうか?


企業が再び新卒採用枠の縮小に転じつつある今、第二新卒や中高年の求職者を交えた就職活動の現場は今後どのような変質を迫られるのだろうか?


そして、たとえば生活。


私事であるが、私は住宅ローンを組んでいる。

最初の三年の固定金利期間は終わり、すでに変動金利へと移行している。


十兆円単位の経済対策が組まれ、赤字国債がドンと発行されそうな昨今、長期金利が大きくあがってくるタイミングは一体いつになるのだろうか?


背景こそ違うが、ローン支払い額が急激に上昇して自己破産した米国の多くの勤労者たちのイメージが、脳裏にちらつく(笑)この頃である。

自分は住宅ローンの支払額の上昇前に、うまいタイミングでなんらかの防御手を打つことができるだろうか?

 

ビジネスの世界において、ルールは人為的な力によって変えられるものだ。
そのことは、頭の片隅に留めておいたほうがよい。


そしていったん変化の潮流が明確になると、その後は雪崩を打ったように、すごい勢いで全体が塗り替えられていく。

「昨日まで目の前にあったあの世界はどうしたの?」と、いいたくなるくらいに。


もちろんあなたが経営者でもない限り、あなたの方からは、自ら潮目の変化をつくりだすことなどは、まずできないだろう。

しかしその兆候を感じ取って、自らの利となる方向を見出し、自分のために先手をうって動くことは可能なはずだ。

 

潮目が変わるときを見抜くことは難しい。
また、変化のスピードに果たしてついていけるか…ということもある。


しかしながら、日頃から視野を広く持つよう、また嗅覚をとがらせておくようにはしたいものだ。


自分の生活防衛だけに関心を寄せてしまうようになると、そういった点には、目が行かなくなってしまいがちだ。


そして問題が目の前にはっきりと「はい、こんにちは」と現れてから、「困った、どうしよう」といって、慌てふためくことになる。


「働き口さえ見つかればよい、社会の変化など自分には関係ない」という近視眼的な考え方は、危険なのだ。

 

転職・就職活動というプライベートな一事においても、目線を手元に固定させず、全体を幅広く見る気持ちのゆとりを持つようにしたい。


人と議論して、考えを深める。新聞を読む。講演を聴きにいく。ネットで情報収集する。

自分がこれまでの人生で関わったことのない業界の人と話してみることも、多くの気づきが得られて有益だろう。

 

これらは、状況を劇的に解決する特効薬ではもちろんない。

しかし、体質を改善する、いわば漢方薬的な処方だ。

状況の変化に対応するためのあなた自身の力は、明らかに深まるはずだ。

 

中高年の転職・就職活動においても、とにかく目先の定職が見つかればよいのだ、という近視眼的な発想オンリーだと、予想だにしない方向からくる衝撃に対処する胆力と気力が、失われてくる。


ルールの変更が行われつつあるかもしれない…という、変化の潮目を感じ取れるセンスを、日頃から機会あるごとに磨いておきたいものだ。

 



「怒り」の感情、そのコントロールに努める。

 

最近のメディア報道は以前にも増して、通り魔事件だの小学生のネットいじめだの果ては肉親や身内を殺めただのと、ことのほか陰惨な事件が増しているようで憂鬱になってくるが、皆さんはいかがだろうか。


このような風潮は日本社会全体で強まっているような気がするが、つまるところ、自分の中にひそむ「怒り」の感情を、他人に対する攻撃という形をとってむき出しにぶつける輩が目立って増えてきている、ということだろう。


自らの感情における「怒り」の部分をコントロールできない人間、ないしは外の世界への暴力へと転化することで、自らの「怒り」を発散し解消しようとする人間の数が、確実に増えているのだ。

 

中高年の転職・就職活動とは無縁な話だと、思われるだろうか?


私は、面接テクニックの習得や想定問答に精を出すよりも、自分の中の怒りの感情をコントロールするやり方を身につけることのほうが、就職活動においてはるかに有益であるような気がしてならない。


たとえば、就職の最終面接で、面接官である役員や人事部長にぶしつけな、あるいは思わずカッとなるような質問を、投げかけられたら?


怒り出さないまでも、自らの表情がみるみる険しくなるのを自覚するようでは、当然に面接者にも気取られることだろう。


また、転職理由などを話しているうちに、自分の過去の「怒り」に通じるスイッチを自ら入れてしまって、感情が高ぶってしまい、面接が台無しになってしまう場合だって、ケースとしてはありうるだろう。(関連して、中途採用面接、前の会社の悪口だけは言うな。のコラムも、ついでに読んでほしい)


面接テクニックなどは、いったん就職してしまえばそれで用無しとなるが、「怒り」をコントロールするノウハウは、入社後の仕事の現場においても、あなたの家庭生活などのプライベートであっても、生涯にわたってさまざまな場面において、活きてくるはずだ。

 

自分の怒りの感情を、コントロールできるようになること。
これは、あなたの人生における、すばらしい武器になるのだ。


「怒るな」といっているのではなく、「怒り方の習得」が必要だということだ。


ただしそのぶん、この怒りの感情をコントロールする方法は、身につけることが難しい。


上手に怒れるようになるためには、意識的なトレーニングが必要なようだ。


そのためずいぶん長い間研究の対象ともされてきているし、数多くの人が苦労して、この技術を身につけようとしてきている。


正直、私などがこれについて語るのはあまりにおこがましいのだが、専門家の知見もまじえて、半分は自分自身のために(笑)怒りをコントロールする方法について、いくつかのヒントを並べておこう。

 

専門家によれば、怒りというのは「感情のふた」なのだそうだ。


怒りという「感情のふた」を開けると、悲しみやあきらめ、さびしさといった真の感情がその下に隠れており、それが露わになるのを防ぐために、我々は怒るらしい。


そして、「怒り」には「瞬間的」なものと、「持続的」なものの二種類がある。


「瞬間的な怒り」ならば、「怒るのを、とりあえず深呼吸して、心の中で数字を10まで数えてからにする」というルールをつくるだけでも、ずいぶん収まるものだ。


「1、2、3、…」とゆっくり数えているうちに、怒りを爆発させたいる気分がわずかながらトーンダウンしてくるし、10まで数えた後にあらためて怒るにしても、多少は自分を取り戻し、もっとやわらかいものの言い方にあらためることだってできるようになる。


あと、自分が「瞬間的な怒り」にとらわれていると感じるときは、インターネットは見ないほうがよい。


机の前のPC電源を消して、完全に感情が安定するまで、パソコン作業から離れてしまうことをオススメする。


科学的説明まではできないが、二次元のモニター画面をあまりにも長時間見つめていると、とりわけネガティブな感情がだんだんと増幅される作用があるように思えてならない。


見えないスクリーンの向こう側の相手に感情をそのままぶつける「ネットいじめ」は、とりわけ感情のコントロールに思いが至らない子供の世界において、残酷なまでリアルにあらわれることは、皆さんご存知のとおりである。


ということで、「なんかムカつく!」という気分のときには、外に散歩に出たり、軽い運動をしたり、何かおいしいものでも食べにいったりすることを、おススメしたい。


ほかにも、「瞬間的な怒り」の解消方法については、いろいろとアイデアが出されているようだ。


試してみて、自分にあっていると感じるものを、長く採用するようにするのがよいだろう。

 

さてもうひとつ、「瞬間的な怒り」よりもずっと取扱いがやっかいなものに「持続的な怒り」がある。


こちらは自分が育った環境や現在置かれている環境の影響も大きく、また長い年月にわたって形成されてきているぶん抑圧度も高く、コントロールに苦労する面があるようだ。


転職・就職という面でいえば、とりわけ中高年の転職者は何度も面接でNGを出されているうちに、自己否定をされたような気分にならないほうがおかしく、その状態が続くうちに、社会に対する言いようのない怒りの感情が形作られてくることは、むしろごく当然な気もする。


しかしだからといって、そのような感情の不制御を、そのまま放置しておいてよいわけがない。


「持続的な怒り」を解くのは、「瞬間的な怒り」にくらべると数段難しいし、一人一人の処方せんも異なる。


興味をもたれた方は、自分で書店で専門書籍をあたるなり、セラピストの講演を聴きにいったりして、解決の方向を見出すための見識を深めてほしい。


話を振っておいてある意味申し訳ないが、こちらのほうは、簡単に解決策を提示できるような問題でもないからだ。

 

怒りとは、「自分という存在を過大視する」ところからもきているように思う。


自分が、同じように呼吸をし、似たようなことを考えて生きている他の人々と同列の存在であることに、思いがいたらない。


他人から特別な存在としての扱いを受けたい、あるいは自分で思い描くイメージどおりに自分という存在を評価してほしい、という思いが心の奥底にあると、それが実現しないときに、感情がむき出しになりやすい。


このような心の動きは「自分自身を大切にする」「自分には(他の人と違った)長所だってある」という心の持ちようと、実に紙一重のところに位置しているため、本人もなかなか自覚しがたいところではある。


しかし一方で「自分は他の人と同じ・なんら変わることのない存在である」という感覚もあわせ持っていないと、他人の人生を自分の人生に比べて軽く取り扱ったり、否定してかかるような感情が先立つ人間になってしまいかねない。
これは気をつけたいところである。


世に生きる自分以外の人々を、自分と同じ存在として見る訓練を積んだなら、昨今の事件を起こした人々のように、他人の人生を否定することによって自分の人生の正当化をはかろうとは、思わなくなるはずだ。


だからこそ、「自分という存在を大切にしながら」その一方で「自分が人々の中に生きる同一線上の存在であることの自覚を持つ」ことを、めざす価値があるように思う。

 

就職面接においては、あなたも最終的に採用になった候補者も、同一線上に並べられているジグゾーパズルの一ピースにすぎない、という見方だってできるだろう。


あなたは、たまたまあるパズルのある箇所には、あわない形をしたピースであった。


そして他の候補者は、そのパズルにフィットした。


ただし、あなたも同様に一枚のピースである以上、いつかどこかで、フィットする「あなたのためのパズル」があるはずである。

 

「怒り」の感情をコントロールする。できるように努める。

私も精進したい。皆さんにも、おススメする次第である。

 









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